娘と「尊敬」とアジャイル開発
「尊敬」という起点
この記事はグロースエクスパートナーズ Advent Calendar 2022の 21 日目の記事です。
ソフトウェア業界、とりわけアジャイル開発業界では「尊敬」の重要性が繰り返し語られています。
たとえば、有名なアジャイル開発のフレームワークであるスクラムやエクストリーム・プログラミングでは人々の行動規範たる価値基準や価値の一つとして「尊敬」が挙げられています。
また、スクラムの基礎の一つである『組織パターン チームの成長によりアジャイルソフトウェア開発の変革を促す』という、デザインパターンのようなパターン・ランゲージでソフトウェア開発組織の問題解決と構築をするための書籍がありますが、そこですべての基礎となるパターンは「信頼で結ばれた共同体」です。
そして「信頼で結ばれた共同体」は「人間の組織を構築しているなら、効率的なコミュニケーションのために信頼と尊敬という基礎を、成長を持続できるほど深いレベルで築かなければならない」と説明されています。
さらに、元 Google のプログラマによる『Team Geek ―Google のギークたちはいかにしてチームを作るのか』においても、チームメイトとしての基本原理として謙虚(Humility)、尊敬(Respect)、信頼(Trust)の頭文字を取った「HRT」が紹介されていて、ここでも「尊敬」の重要性が強調されています。
他にも、ソフトウェア開発の文脈にふりかえりを導入した『Project Retrospectives: A Handbook for Team Reviews』や、昨今話題となった Google のプロジェクトアリストテレスにおいても「尊敬」の重要性が強調されており、ソフトウェア開発やアジャイル開発における「尊敬」の重要性の強調の事例は枚挙にいとまがありません。
「尊敬」とは何か
それでは、あらためて、そのような重要な「尊敬」とは一体何でしょうか。
手始めに「尊敬」をググってみると、goo 国語辞書に以下と出てきます。また、他の多くの辞書でも似たような定義がされています。
「その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。
その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。
「互いに―の念を抱く」「―する人物」」
拍子抜けするような定義です。「その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまう」。これは、私たちが日常的かつ自然にやっていることです。 けれど、こんな当たり前のことをソフトウェア開発における天才達があれほど繰り返し強調するわけがない、と感じます。 当たり前ではないこと、実践が難しいことだからこそ、繰り返し強調しているのではなかろうか。
...てなことを漠然と考えていたところ、ある日ふと、「尊敬」の別の解釈が浮かびました。
教えてくれたのは、2 歳の娘です。
「尊敬」とは、相手に対する不断の学習である
さて、突然ですが、娘と私のどちらが知識があるでしょうか?
どちらのスキルが高いでしょうか?
--- 答えは、お互いが全く異なる知識とスキルを持っている。以上。
最近まで、私は娘よりも物知りなつもりでした。
ですが、ある日、彼女は私が知らないことを沢山知っていると気づきました。
たとえば、保育園での友人関係、様々な歌とダンス、アニメの台詞、ベビーカーでの心地よい過ごし方、絵本に出てくる英単語の数々。
スキルはどうでしょうか?
たとえば、日本語によるコミュニケーション能力は私の方が優れています(はず)。
けれど、好奇心はどうでしょうか。 学習能力は? 愛される能力は? ...どれも完敗としか言いようがありません。
これらは、娘を「一人の人間としてフラットに観察し、どんな価値観を抱き、どんな能力があり、そして獲得しつつあるのかを学習し続けた」から気づけたことです。
そして、まさにこれこそがソフトウェア開発やアジャイル開発で言われているところの「尊敬」ではないかと気づきました。
この意味での「尊敬」は、好奇心や時間を費やさなければならないため、実践は難しい、というか、はっきり言って面倒くさい。
しかし、面倒くさいからと言って学習を止め、娘を「無知な 2 歳児」という観点で見始めたらどうでしょうか。
きっと娘と私の間に豊かに広がる世界は途端にしぼみ、窮屈な上下関係が生まれ始めるでしょう。
さて、あなたも職場でこのようなことを思ったことはないでしょうか?
「若手」だからスキルが低い
→ その「若手」はあなたが持ってないスキルを持っていませんか
「上司」だからスキルが高い
→ 「上司」のスキルは高いかも、けど、あなたにも別の豊かなスキルがありませんか
勉強していない誰かをどこかで見下している
→ その「誰か」はあなたが知らない別の知識を持っていませんか
→ その「誰か」は人に言えない様々な事情で勉強する余裕が無い中、必死に仕事をしているのでは無いでしょうか
「尊敬」の先にあるもの
前項では、「尊敬」に「相手を一人の人間としてフラットに観察し、どんな価値観を抱き、どんな能力があり、そして獲得しつつあるのかを学習し続けること」という新たな解釈を与えました。
それでは、そのようにチームメンバー同士で「尊敬」し合ったとして、どのようなメリットがあるのでしょうか? なぜ重要なのでしょうか?
現時点での私の仮説は、「尊敬が今後のチームの無数の学習の起点であり原動力となるから」です。
アジャイル開発とは、単に素早くソフトウェアを開発することではありません。単にチームで楽しくわいわいと開発することでもありません。その本質とは、チームで、市場について、プロダクトについて、ユーザーについて、顧客について、チームについて、デザインについて、開発技術について、その他ありとあらゆるビジネスの成功にとって必要なことについて不断に学習し続けることです。
その本質に気づいた瞬間、うんざりしたような顔をする方も大勢います。
けれど、それらの学習を起動させ、そして、楽しみにさえできる方法が実はたった一つだけあります。
それは、まずは目の前にいるチームメンバーについて不断に学習すること、すなわち、「尊敬」し始めることです。